CRFに乗って降りてきた88年型NSR500とW・ガードナー、MOTOGPでのロッシの苦悩そしてクアルタラローの走り2
残念ながら88年型の画像は入手できなかったのだが、上は87年にガードナーがチャンピョンを取ったマシンである。
お気づきの方も多いと思うが、両スプロケットとスイングアームピボットの位置関係が特殊で、これだけ直線的であれば、アンチスクワット効果がほとんどないはずである。
確かこの頃のNSR500のリアダンパーは一般的な速度反応式でなくストローク反応式だったと記憶している、なぜそのような方式にしたのか知る由もないが、最大ストロークに達するときギャップでガツンと入るのと高速コーナーでジワッと入るのとでは要求される硬さが違うはずでストロークで感知するのであれば前者のほうに合わせてかなり硬い設定になると思う。スムーズな日本のサーキットの路面ならなんとかなるかもしれないが様々なギャップがあるヨーロッパのコースではリジットになってしまうシーンも度々あるのではないか。
この一直線な3者の位置関係はそれをカバーするためにアンチスクワット効果を弱めようとしたと私には見える。
しかしそれでもリジット感は消えなかったようで88年型は更にアンチスクワット効果を低減させるフレームが作られたという、画像はないがスイングアームピボット位置が更に下げられたに違いない。
チームガリーナ代表のロベルト・ガリーナはチームに届けられた88型を箱から出して一目みて「このマシンのディメンジョンは間違っている」と一括したという。
更にガードナーのリクエストを取り入れてヘッドパイプの位置も下げられたというから、いやはやどんなマシンだったのか。
ホンダにとって不運だったのは冬季テストに使用していたフィリップアイランドサーッキットが諸事情で使えなくなってテストが不十分なままシーズンインしてしまったことだろう。
その後は皆さんご存知のとおり、激しいホイルスピンに悩まされシーズン前半を棒に振ることになったのでした。
下の画像はその反省をふまえ作られた89年型フレーム、ピボット位置が標準的な位置に戻されている、ヘッドパイプ位置も元に戻された、これをベースに強化したフレームでE・ローソンの手によりチャンピョンを奪回に成功した。
ダンパーは翌90年型から通常の速度反応式に戻され、M・ドゥーハンの黄金期へと繋がっていくのであった。
次回から現在のモトGPの話へとつづく。