父の100日法要も終わり、少しは日常を取り戻しつつあります。
親が死ぬと、鈍感な私でも心境の変化は多少あるようで、例えば正月にスターウォーズを見に行ったときには、以前は雑魚兵士が死んでも何とも思わなかったけれど、あの人にも家族がいて悲しむのだろうななど、以前は全く思いもしなかったことを考えるようになりました。
浜田省吾の悲しみは雪のようにがラジオから流れた時には、これは親が死んだときに作ったのではと直感し、調べてみると彼の母が危篤になったときに生まれた曲とのことで、人生経験が増えるごとに、新しく気づくことがあるものなのだと、改めて思いました。