手塚統のはちみつトマト日記

はちみつを使ったトマトの栽培、しいたけの栽培、趣味のMOTOR、など徒然に。

RACERS 其の三

そして86年~90年までのNSR500である。

この時代については八代俊二のレポートが面白かった。

我が愛憎のNSR500

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私は86年の全日本に、モリワキレーシングから参戦することになった。まず与えられたマシンは85年型NS500であった。
このマシンはなかなか良く出来たマシンで、アクセルとエンジンの比例性が良く2ストローク500ccマシンが初めての私でも、ものの数時間走っただけで、鈴鹿コースレコードに迫るタイムを出すことが出来た。手ごたえを感じた私は、このマシンで86シーズンを走る事を、心待ちにしていた。
しかし、テスト中に大破させてしまい、モリワキには85年型NSRが届けられたが、このマシンは想像を超える難物だった。エンジンはモーターのようであり、全くトラクションしない。サスペンションは節度が無く、セッテイングを変えても、その効果が体感できなかった。
セッティング、ライディングともに試行錯誤を繰り返したが、NS500のタイムを更新することが出来なかった。
しかし、全日本第一戦でドサクサに紛れてコースレコードを記録した私に気を良くしたHRC首脳が「もう旧型に乗せる必要は無いんじゃないか」と最新型の86年型NSR500を私に与えることにしたのだ。しかし最新型であろうが、85と大差なく多少中速のピックアップが良くなっていたが、その分、高回転の伸びが悪くなっていた。セッティング効果が薄く、アンダーステアが出やすい車体も相変わらずだった。それでも第6戦SUGOで優勝すると、WGP第4戦の参加が決定。そのままグランプリ転戦になだれ込むことになった。

500CCに乗り始めて僅か5ヶ月の間に3種類のワークスマシンを経験し、国内ではダンロップタイヤの開発、WGPではミシュランにスイッチと猛烈に変化していった環境の中で、私は2ストのGP500マシンについて多くを学ぶことになった。

86年終盤翌年の契約について話す段階でHRCにいくつかのリクエストを出した。
エンジンについては90度バンクの後ろにキャブレターが4連装されているのをNSのように、バンク間に取り付けて欲しい、現在のキャブレター配置では、前方シリンダーまでが遠く、アクセルとエンジンが比例しないのは当たり前というわけだ。

サスペンションについてはプロリンクが、スイングアームの上方に位置するのを下方に移して欲しい、上方にあると高荷重時に動きが渋くなる。

以上のような経緯をへて、理にかなった作りになった87年型NSRワイン・ガードナーがチャンピョン輝くという成績をホンダにもたらした。

そして88年シーズンにむけて、リアタイヤの磨耗が激しいのと、依然アンダーステアの問題を抱えていたので旋回力も含めたハンドリングの改良が必須だった。

87シーズン終了後のミーティングで私はアンチスクワット性を弱めることをリクエストした。








* アンチスクワット性とは加速時にスイングアームが沈み込みすぎ、腰砕けになるのを防ぐ為のリアアライメントで、前後のスプロケット位置とスイングアームピボット位置、及び長さの関係で決まる。
乱暴に言うと、スイングアームの垂れ角が強いほどアンチスクワット効果が高まる。

強すぎれば、リアタイヤに荷重がかかりすぎ、特にタイヤがたれてくると、トラクションが得られなくなる、逆に弱いと、腰砕けになり、全くグリップしなくなる。

私もこの点に興味があり、RSのアンチスクワット効果をわざと弱くするセッティングを筑波で試した事があるが、アクセルを開けたとたんに滑り出すわ、プッシングアンダーが出るわで、走れたものではなかった。
RM125でも狙ったわけではないが、試行錯誤の最中に、同じような経験をした事がある。

続く。