RACERS 其の二
NS500の開発は83年で終わり、84年からNSR500が登場。
名実ともにホンダのエースとなったワイン・ガードナーに不運が襲い掛かる88年
そしてヤマハからエディー・ローソンがやって来た。
この表紙から分かるように、主に87~89年のワイン・ガードナーとエディー・ローソン時代を中心にした内容になっています。
part1と銘うたれているので、続きも出版されるのでしょうが、この後のビッグバンエンジン,マイケル・ドゥーハン5連覇時代がpart2になるのでしょう。
84~85年については、さらりとしか書いていませんでしたが、この時代の迷走をむしろpart1として出しても良かったのでは、と思いました。
NS500はすぐ勝つための、合理的なマシンでしたが、NSR500は一転して他とは違うメカニズムで挑戦するという、ホンダイズムが復活。
ライダーにとっては迷惑なことです・・・
84年の初期型は燃料タンクがエンジンの下にあり、エキゾーストがダミーのタンクの中でとぐろを巻くという、どう見ても走りそうも無いレイアウトでした。
たまらずスペンサーはNSを使いたいとシーズン中の何レースかはそれで走りました。
ライダーにとっては迷惑なことです・・・
84年の初期型は燃料タンクがエンジンの下にあり、エキゾーストがダミーのタンクの中でとぐろを巻くという、どう見ても走りそうも無いレイアウトでした。
たまらずスペンサーはNSを使いたいとシーズン中の何レースかはそれで走りました。
比較的コンサバなレイアウトになった85年はチャンピョンに返り咲いたものの、彼以外は扱いきれない難物だったようです。
このシーズンで消耗したのか、その後、怪我などで、すっかり調子を崩して、引退することとなったのでした。
77年ヤマハで350ccクラスでチャンピョンを取り78年同じくヤマハで500ccランキング5位につけ79年からはホンダに移籍した片山敬済はNRとともに無駄な3年間を過ごすことになりました。
NS500で背骨を骨折し、これが原因で引退に追い込まれましたが、時間を取り戻したい焦りが無理なライディングとなって怪我を招いた部分もあると思います。
彼もスペンサーもホンダの無駄な挑戦の犠牲者と言えるかもしれません。
NS500で背骨を骨折し、これが原因で引退に追い込まれましたが、時間を取り戻したい焦りが無理なライディングとなって怪我を招いた部分もあると思います。
彼もスペンサーもホンダの無駄な挑戦の犠牲者と言えるかもしれません。
90年代5連覇を成し遂げたミック・ドゥーハンは、マシンを変えるなと開発陣に強行に迫っていたらしいです。
スペンサーやガードナーが、マシンの大幅な変更で、苦悩していたのを見ていた彼は、同じ轍を踏みたくなかったのでしょう
スペンサーやガードナーが、マシンの大幅な変更で、苦悩していたのを見ていた彼は、同じ轍を踏みたくなかったのでしょう
続く。