手塚統のはちみつトマト日記

はちみつを使ったトマトの栽培、しいたけの栽培、趣味のMOTOR、など徒然に。

速いマシンはどんなマシン 最終回

国際A級F3クラスが最後となった88年、タイトルを奪取したのはヤマハYZF400だった。

ホンダのような、突然変異的なマシンではなく、こつこつと改良を重ね、この年やっとRVFについていけるエンジンパワーを手に入れた。
中速トルクもアップし、全コースで同じミッションを使うことができるようにもなった。

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とは言え、RVFをストレートで抜き去るほどパワーアップしたわけではなく、重量もやや重かったと言う。

なぜRVFを倒すことができたのか、もちろん、ライダーの能力もあるが、このレベルになると、能力は拮抗しており腕でカバーできるほど甘くはない。

まず、ホンダの混乱がある、変なRCBを出してポイントをロスしたし、RVFも更なるパワーを求めて最高出力発生回転数を500rpm上げたが、ドン付きが出てしまい、逆にタイムは落ちてしまった。


(ドン付きとは、アクセルの開け始めで、ライダーの意に反して、唐突にパワーが出てしまう現象で、マシンがギクシャクしてしまう。
私自身、開け始めのスムーズさは最も重視してキャブセッティングしている。
針の穴に糸を通すときは、指先をスムーズに動かさなければならない、このとき肘をドンと押されたら、うまく糸を通すことはできない。
微妙なスライドコントロールをするには、意思と比例してエンジンが動いてくれる必要がある。)

最後にチャンピョンマシンとなったYZF400とはどんなマシンだったのか?
当時のヤマハ250ワークスライダー難波恭司氏のインプレッションが全てを物語っている。

「まず驚いたのが車重を感じさせないという点。250より20キロ以上重いのに同等くらいの感覚である。しかも高速安定性も上手くバランスしている。
好印象だったのが、外乱やタイヤの滑り方が大変スローモーションに感じることで、挙動が分かり易く対応がし易い。チャンピョンマシンに乗ることができて大変勉強になった。」

結局、ピークパワーや、鋭いハンドリングより、安心して攻められる乗りやすいマシンが、いつもチャンピョンになっていたわけである。

F・スペンサーのように、何でも乗りこなしてしまう天才は、稀にいるが、普通はそうはいかない。
そのスペンサーも絶頂期は短く、最後は普通のライダーになってしまった。