手塚統のはちみつトマト日記

はちみつを使ったトマトの栽培、しいたけの栽培、趣味のMOTOR、など徒然に。

速いマシンはどんなマシン 3

コストが天井知らずとなったことが原因なのか、国際A級F3は88年が最後となった。
無敵のRVFであったが、この最終年にホンダは直4のアピールもしたかったようで直4のRCBも投入されることとなった。

87年の最終戦筑波で、朝霞研究所が製作したRCB400が2位となったのに気を良くしたようだ。
ホンダ社内ではV型エンジンが主流であったが、直4派閥も存在し、HRCはここぞとばかり作りこんだRCB400を製作した。
朝霞研究所が製作したRCBは市販CBRをチューンしたコンサバティブな造りであったが、HRCが造ったRCBは全くの別物で、空力の関係からモノコックフレームとなり、プラグ交換もエンジンを下ろさなければできないという、凝った造りのマシンだった。

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パワーを追求し1万6000回転でピークパワーを発生し、ヤマハの塩森をして「600ccくらいあるんじゃないか」と言わせるほどストレートは速かった。

しかし、その反動でエンブレが利きすぎて、バックトルクリミッターだけでは足りず、アイドリングを8000回転に設定していた。

それでも、ドライバビリティーは改善されず、RVFより速く走ることはできなかった。

「今思うと、ひたすら高出力を狙ってエンジンをキンキンに造り過ぎてしまったと思います、今なら違うやり方があるでしょう」
担当したHRC技術者談。

とは言え、直4はシリンダーヘッドが大きく高さもあった、それゆえに動きを出しやすくRVFより旋回性や切り替えしに優れていた、ハンドリングの素性は悪くなかったという。

以前別の記事で書いた、マスは集中すれば良いものではないという話と、通ずるエピソードではある。