速いマシンは、どんなマシン 2
当初F3は、市販車改造クラスということで、国際A級クラスでも、CBXやRZを改造した、牧歌的なクラスであったが、TZR、FZR、GSXの台頭により、空冷のCBRは勝てなくなっていた。
そして2ストのMVXも失敗作と、当時のホンダは中型クラスで遅れをとっていた。
そして2ストのMVXも失敗作と、当時のホンダは中型クラスで遅れをとっていた。
いまでこそ、レースの結果は市販車の売り上げと何の関係もないが、80年代は空前のレースブームであり、メインの中型クラス市販車を使うF3レースの結果は、売り上げに大きく影響していた。
あせったホンダが85年に投入したのが、RVF400。
同年WGP250クラスでF・スペンサーのライディングによりチャンピョンになる、RS250RWのフレームにNRの8バルブエンジンを半分にして搭載した(と噂された)おきて破りのスーパーマシンを改造車クラスに持ち込んだ。
レギュレーションが事実上何をやってもいいとなっていたので、出てきたマシンだ。F3設立当初はまさか、これほどの勃興は予測しておらず、この後、F3クラスの予算は天井知らずに膨らんで行くこととなる。
レギュレーションが事実上何をやってもいいとなっていたので、出てきたマシンだ。F3設立当初はまさか、これほどの勃興は予測しておらず、この後、F3クラスの予算は天井知らずに膨らんで行くこととなる。
RVF400は85~87年まで、3年連続で全日本チャンピョンと大成功を収めたが、そのマシンはどんな物であったのだろうか。
HRCのテストライダー飯田浩之氏(全日本チャンピョンの経験もあり、どんなマシンでも乗りこなす凄い人)によると
「RVF400は当時のHRCレーシングマシンのなかで、最も乗り易いマシンだった、車体造りや操安の最高の教材だった」
「RVF400は当時のHRCレーシングマシンのなかで、最も乗り易いマシンだった、車体造りや操安の最高の教材だった」
馬力もあったが、フラットトルクで扱い易く、本質的な強さはバランスの良さにあったのだ。